
高円宮杯滋賀県PO、4年ぶりに優勝し関西POへの切符を掴んでくれました。
2017年、2021年、そして2025年とちょうど4年に1回、笑顔で終われたことになる。
笑顔で終われなかった年代の選手が後に高校でもっと大きな喜びを手にすることも多々あったから勝ち負けよりも大切な「途中」であることを忘れないようにしている。
季節的にも涼しくなる頃で心地いいし、3年生の節目でもあり純粋に1試合1試合を大切に思える。個人的には大好きな大会だ。
2018年はリーグ優勝をして関西PO直行だったが、じっくり関西POを見据えて準備ができる良さもあった。でも勝っても負けてもこの県大会はやっぱり熱くて面白いから捨てがたい。3年間競い合った多くのライバルチーム達と1つだけの椅子を取り合う緊張感は選手を育ててくれる。
ラドソンのこの学年は例年以上に十人十色で性格も選手としての個性も実にさまざま。
ストロングもしっかりあるし、弱点も見事にハッキリとある。
だからじれったいサッカーをしてたくさんの寄り道を作る日々だ。
急いでチームとしてまとめたりしない。そこだけは良かったかなとつくづく思う。
わがままで、文句言いで、妙に弱気だったり、驚くほどムスッとしていたり…かと思ったら実に謙虚に全員で粘り強さを見せたり。ヘッドコーチ泣かせではあったがやっぱりそれが、本来のTHE13歳~15歳という生き物なんだろうなとも思う。
大会に入る前も大会中も「この大会で優勝してもそれはタイトルとかではない。年間リーグ戦で最上位で権利をとれなかったから出場し、最後の切符をもぎ取れるかどうか。そういう意味では本当に面白くて意味のあるチャレンジ。勝ち負けに気を取られそうになるけど矢印は常に【成長】に向けよう」と伝え続けた。
決勝トーナメントからの出場だったが、「変に気負わない」とわかっていても選手たちは難しそうに1回戦・2回戦とどこか硬く試合をしていた。相手チームのチャレンジ精神を上回る「何か」が欠けているように思えた。負けたくない、という意地と運だけでなんとか勝ったが負けていても一切不思議じゃない内容だった。
別々の生き物が小さい箱の中でそれぞれで足掻いているような窮屈さがあった。
単純に「らしくない」のは勝ってもやっぱりつまらないなぁ、と思った。
準決勝前の練習は「ちょっとネジの飛んだ試合をしよう」と伝えた。でもそれはヤケクソの試合をしようというのではない。スリルを歓迎する少しずつの勇気とそれを後押しできるバランスを試合形式のトレーニングの中で選手たちと確認した。
準決勝、決勝と実に彼らが彼ららしく試合をしていた。勝ち負けや数字に関してはよくわからない。ただ明るさが躍動感になり少しだけ多くの運を引き寄せただけのような気もする。こういう試合が出来れば負けてもそれはそれで良いものだといつも思っている。それくらいリーグでもこの大会でも力差のない素晴らしい相手と面白い試合ができた。
この2試合は監督としての荷物は何もなかった。一緒にサッカーを楽しんでいる普通のオッサンに戻って見ていた。馬鹿だから時々大声で「サンキュー」とか「ヨッシャー」とか言ってただけ。試合中の守備の難しいところの改善はヨロシク、と若いコーチ達に丸投げしました。正直に言えば試合の日はいつも自分は行き帰りの車でブルーハーツの「終わらない歌」を聞いて鼻歌を歌ってるだけのような気がする。
申し訳ないくらい凄く整っていない監督55歳でゴメン。
そんなことだから祝勝会の焼肉パーティーで選手一人一人から「監督がよく言うフレーズものまね」でいじり倒されるんだろう。恥ずかしい。面白かったけど。
お返しに「パスアンドプレス2分10セット」くらいのご褒美が必要だと思ったね。
さてまじめな話…
今大会の試合の映像を見返しているとやはり自分の指導はまだまだだダメだなと思う。
メンタルと発想を支える「技術」、技術こそが「メンタルと発想」だと言いきれるほど普通のレベルを磨いていくことがもっともっと大切だと感じる。
「楽しむ」と簡単に言うのではなく、そのためにどれほど磨けば「敵を観察して技術と発想を駆使して自分自身で、そして仲間と攻略する」楽しさに触れる機会が増えるんだろうか。
「頑張る」とか「頑張らせる」とか抽象的なことではなく、好きなことで「好奇心のバケモノ」になるきっかけ作りくらいは平凡な自分にだって少しは手伝えるはずだ。
そこを見失わずに逆算して日々の練習を大切にしないと、と思う。
それは無限だな、と思う。有限の中の無限に出会えて本当に良かった。
ここからの1か月半ほどで高円宮杯関西PO、サンライズリーグ2部昇格戦と強い相手に挑戦する切符がある。
切符。こんなに地味でこんなにワクワクする言葉は他にはない。
この切符を握りしめて選手と一緒に精一杯の準備から始められる最高の日々に感謝。